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スミソニアン航空宇宙博物館は言うまでもなく世界一の航空博物館です。ここにはライト兄弟が初飛行を行った機体から極超音速の壁を乗り越えたX-15まで時代を越えて多くの歴史的な機体が展示されています。
スミソニアンの特徴は当時使った本物の機体が数多く展示されていることが大きな特徴です。機体には塗料のはげや傷などが生々しく残っています。ここの写真でそうした"Real"な感触を味わってもらえると幸いです。
またスミソニアン財団自体が保有するコレクションはここに公開されているものの他にも多数あり、ここにあるのはごく一部です
。また最近では大型機を中心にしてワシントン・ダレス国際空港の敷地に隣接してオープンしたUdvar Hazyセンターがあります。
博物館は大きく22のセクションに分かれています。この他に売店や書店、フードコートがはいっています。
ちなみに現在は入り口でセキュリティチェックがあります。不用品を持ち込まずカメラや金属類は取り出しやすくしておいて下さい。 |
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ここでは特に歴史的な意味の高い航空機を集めています。ロビーに隣接していて博物館の中心ともいえるでしょう。
"Spirit of St.
Louis"は1927年にリンドバーグが初の単独大西洋横断を行った機体で「翼よ、あれがパリの火だ」という言葉とともに歴史に刻まれています。
X-1はチャックイェーガーが初めて音の壁を突破した機体です。この様子は映画「ライトスタッフ」でも描かれました。またイェーガーは1997年のエドワーズ空軍基地での基地祭のときにF-15に登場して音の壁突破50周年記念として音の壁を突破したときに生じるソニックブームを会場にとどろかせました。X-15は有翼機としては極超音速の速度記録と高度記録を達成した機体です。X-15は空気のほとんどない超
高空を飛行するために通常の空力による操縦舵の他にロケット制御装置を備えていて二重の操縦装置があります。垂直尾翼の後部がそぎ落とされているのもこの速度域ならではの空力設計ゆえです。Apollo
11は初めて人類が月に一歩を記したアポロ11号の司令船です。 |
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第一次大戦で兵器として注目された飛行機は戦争終了後は輸送や郵便に使用されていきます。初の定期旅客便は1914年にセントピータースバーグとフロリダのタンパベイの間で開始されました。
このセクションでは主に戦前の航空輸送の歴史を担った機体が展示されています。
Ford Tri-Motor
トライモーターは1926年から使用されフォードの名声とともに一般的に使われるようになります。
また"Tin
Goose"(ブリキのがちょう)というニックネームでも知られています。映画インディージョーンズ(Part2)にも登場しました。ここに展示されているものはアメリカン航空がレストアしたものです。
またDouglas
DC-3は戦前でもっとも成功した飛行機の一つとして歴史に刻まれる機体です。 |
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第一次大戦と第二次大戦の間では飛行機が劇的に進歩して数多くの記録が打ち立てられ、歴史的な冒険飛行も行われました。それ
ゆえにこの時代は航空機の黄金時代とも呼ばれます。エアレースや曲技飛行も盛んに行われていました。当時の曲技飛行士のことをバーンストーマーといいます。現在の曲技飛行パイ
ロットの元祖ともいえるでしょう。
「星の王子様」の下敷きとなったサンテクジュペリの冒険飛行もこの時代ですし、映画「紅の豚」の時代設定もこの時代です。208セクションとほぼ同時期ですが208は主に20年代で105は30年代となります。
Polar
Starは南極探検飛行を試みましたが、燃料不足で不時着しました。Hughes
H-1は最速の陸上機を目指してハワード・ヒューズが設計したものです。ちなみにこのころは水上機の方がスピードが速か
ったのです。これは水上機は抵抗となるフロートが付いていても離着陸滑走距離を無限にとれるため翼面積を小さく出来たからですが、この逆転現象はBf109の原型となるメッサーシュミットの速度記録用実験機が登場するまで続きました。 |
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第二次大戦では初めてジェットエンジンを搭載した飛行機が実用化されました。Me262はP-51よりも190km/hも早かったのです。
50km/h差があると大きな性能差と言われていた時代にこの差は時代の移り変わりを告げるのに決定的なものでした。しかし初期のジェットエンジンは問題点も多く、生産時期も遅れたため戦局を変えるには至りませんでした。
Me
262は戦闘機ではなく爆撃機とせよ、というヒトラーの命令により名機よりも悲劇の道を歩み始めます。しかし大戦末期のガーランドを始めとしたエース部隊JV44の活躍はあまりに有名です。1440機あまり生産されたうち、実線投入されたのはわずか300機程度でした。
P-80はのちにスカンクワークスで勇名をはせるケリージョンソンの手になるアメリカ最初の実用的なジェット戦闘機です。P-80は胴体を二つに割ってエンジン整備ができることなど、後のジェット機体設計の手本となった点も多く見られます。 |
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ここでは(別展示のライトフライヤーを除く)初期の飛行機というより飛行機械を展示しています。
リリエンタールのグライダーは343m飛行しました。ハングでいうと「ぶっ飛び(上昇気流に乗らない飛行)」だったわけです。
またラングレーはライト兄弟と初飛行争いをしたことでも知られています。 |
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まず玄関で出迎えてくれるのがこの一機の巨大な機体です。
この機体の下に総合案内があります。
これはユニークな設計で知られるバート・ルータンが世界一周無着陸・無給油飛行を目指して設計した"Voyger"です。
エドワーズ空軍基地から離陸したボイジャーは9日間の飛行の後、エドワーズ近くのモハビ飛行場に着陸しました。パイロットはバートルータンの兄のディックルータンとこの地にふさわしい名を持つジーナイェーガーでした。 |
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ここでは宇宙開発競争の歴史とともにさまざまなロケットが展示されています。
またM2はリフティングボディといわれ胴体で揚力を得る実験機です。これはスペースシャトルの元祖ともいえます。この機体は100万ドルの男の冒頭シーンで有名です。V-2も展示されていますが、フォンブラウンは兵器を開発してさえどうしても月に行きたかったのです。 |
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戦争は航空機の進歩を加速させますが、第二次大戦の時期にレシプロエンジンのプロペラ機はひとつの頂点を極めたと言えるでしょう。同時にこの時期にジェットの時代の夜明けを向かえます。
ここには大戦時の名機が飾られています。説明不要のA6M5は日本式に言うと零戦52型で、ここでのマーキングはサイパンでの261航空隊のものです。P-51Dはアメリカの当時の航空機技術のひとつの結晶とも言えるでしょう。その高性能さゆえにいまでもリノのエアレースでメインで使われ、プロペラ機の頂点にいます。
メッサーシュミットMe109ははじめBf109と呼ばれていましたが、このBfとはバイエリッシュ・フルークツォイク・ベルケ(バイエルン航空機製作)の略で後のBMWです。そのためBMWのマークはプロペラを表しています。
最後のノルデン爆撃照準機はロバートキャパがうっかりと撮ってしまい大問題に発展したことでも有名です。 |
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飛行機がはじめて実用的なものであると認識されたのがこの第一次大戦です。主に偵察や砲撃の着弾観測などに使われました。はじめはお互いに敵同士でもすれ違うとあいさつをしていましたが、次第に相手の任務を妨害してやろうと言うことになり飛行機同士が空で戦うことになりました。性能差があまりないためパイロットの腕が大きく戦いを決定しました。ここに空の騎士たちともいえる時代が開幕したのです。
ちなみになぜ5機撃墜するとエースパイロットになるかというと、フランスの新聞記者が当時5機撃墜を飾ったあるパイロットへのインタビュー記事の中で「彼こそフランスのエース(トランプの切り札と言う意味で)である」と書いたのが始めと言われています。Fokker
D.VIIはバランスの取れたドイツ最高傑作機でした。フランスのSPAD
XIIIは速度性能にすぐれていてアメリカ軍もよく使った機体です。 |
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ここでは主にアメリカの歴史的な名機を集めています。時代的には"Golden
Age"よりやや前です。Fokker T-2は初めて無着陸でア
メリカを横断した機体で約27時間かかりました。Lockheed
Vegaは有名な女性パイロット、アメリア・イヤハートが大西洋を女性で
はじめて無着陸横断したときの機体です。彼女は後に太平洋に消えます。
カーチスR3Cは「紅の豚」のカーチスのモデルであるシュナイダーレーサーです。なぜかエクストラ330もここに展示されていますが、これは女性曲技パイロットのパティワグスタッフのディスプレイがあるのでイ
アハートと関連付けているのかもしれません。また通路に出ているゴッサマーコンドルとF-104もここで紹介いたします。
ゴッサマーコンドルははじめて世界的に有名になった人力飛行機で$95000のクレマー賞を獲得したことで知られています。後に英仏海峡を横断したゴッサマーアルバトロスはこの姉妹機ですが、アルバトロスの方は複合材料をふんだんに使用しています。 |
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スミソニアンでは飛行機とともに宇宙関係の展示も多く見られます。ここではアポロ計画を中心にした月への道程を見ることができます。圧巻は巨大なサターン5型ロケットのノズルです。これを近くで見ると圧倒されその巨大なエネルギーを感じることができます。 |
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こここで展示されているNASAのX-29とHiMATは航空機への先進技術の応用を示しています。これらはCADによる設計やコントロールな
どコンピューター技術を大きく取り入れています。
X-29は通常の後退翼とは逆の前進翼を採用しています。前進翼は翼端失速には強いけれどもかなりのねじれ強度が必要なため複合材料を多く取り入れています。HiMATはカナードを採用しているだけでなくCCVの応用で高機動の実験を行いました。HiMATは人間では耐えられないGで機動するため無人となっています。CCVははじめから不安定な設計にすることで運動性を増すことを狙っています。安定性とは復元する力ですから動かそうとする運動性と逆に働くからです。しかしこうするとパイロットにとってはまっすぐ飛ぶときの負担が大きくなるため、コンピューターが代わりに細かい舵を担当すると言う考え方です。CCVは現在では旅客機にも応用されていて、尾翼の面積を減らして空気抵抗を低減することに成功しています。 |
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わたしが訪れた2003年は偶然にもライト兄弟が初めて飛行機を空に飛ばしてちょうど100年になります。飛行機100周年のイベントやテレビ番組をやっていました。ここスミソニアンでも通常はセクション100に展示されているライト兄弟の飛行機が特別に近くで見られるように展示されていました。(一番上のタイトル画像の真ん中が空いているところが本来の位置です)
ライトフライヤーの初飛行は1903年12月17日初飛行はわずか12秒でした。ライトフライヤーはこの日に最長260メートルを59秒で飛行しましたが、破壊されて飛べなくなりました。その後この機体は一度イギリスに渡りましたが、ふたたびアメリカに帰されてスミソニアンに展示されています。プロペラや帆布は換えられましたが、そのほかはオリジナルのままです。
ライト兄弟の本業は自転車屋さんでしたが、メカ好きでカメラも好きだったため実験の写真がたくさん残されています。 |
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